桜を见に行きたい_桜ばないのちーぱいに咲くからに生命をかけてわが眺めたり这是
1、这是首蛮有名的短歌,而短歌嘛……自然是不能用现代日语的视角来看的。
(相关资料图)
2、yahoo上也有人问,我摘一下回答。
3、题主既然都开始看短歌了,那应该能看懂下面这段。
4、不懂的话记得追问,我会补翻译的。
5、【语句について】桜ばな:桜の花いのち一ぱいに:命の限り。
6、精魂を込めて。
7、「どのような道をどのように歩くともいのちいっぱいに生きればいいぞ」(相田みつを) 咲くからに:「からに」は接続助词で、「ただ~だけで」(见るからに美味そうだ)とか、「~するやいなや」(吹くからに秋の草木の しをるればむべ山风を岚というらむ 文屋康秀)といった使い方をしますが、ここでは原因・理由を表す助词「から」と「に」を重ねて「~だから」という意味を强调しています。
8、生命をかけて:「命を舍てる覚悟で」という意味ですが、そこから派生して「全身全霊をもって」わが眺めたり:「われ眺めたり」が通常の表现ですが、敢えて「が」を使っています。
9、「私が(私は)眺めたのであった」【表现技法について】・桜が「いのち一ぱいに咲く」という部分は拟人法です。
10、・「いのち」と「生命(いのち)」で、同じ语を二度使っています。
11、文字数の少ない短歌では通常これは避けるのですが、あえて重ねていることでこの言叶が极めて印象的に前に出てきています。
12、・「わが眺めたり」と、「私は」ではなく「私が」としていることで、ひとつは浊音により言叶の强い响きを得ています。
13、もうひとつは「他の谁でもなく、私が命をかけて见ているのだ」というニュアンスを出しています。
14、全体として、生命の力があふれ、また作者の热情が満ちている歌となっています。
15、後に息子が「芸术は爆発だ!」と叫んだDNAを感じさせます。
16、また、この歌が咏まれる半年前に関东大震灾が起こっています。
17、栄华を享受していた帝都东京も瓦砾と化し、多くの人名が失われました。
18、それでも春が巡り来れば、桜はただ「いのちいっぱいに」咲く。
19、その桜花を前にしたとき、私もまた命をかけて见ずにいられようか…そのような歌です。
20、【作者が捉えているものについて】前述の通り、「いのち」がこの歌のキモですので、咲き夸る桜の鲜やかな色、あるいは风に洁く散りゆく様子、そして音、桜吹雪の中で香る花の匂い、それらを「いのち」として感じ取っている、ということになるかと思います。
21、また同时に、五感ではなく心で、震灾で失われた人々の命、ひょっとしたら十年ほど前に丧われた我が子の命も感じているでしょう。
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